杖道や健杖会について、より雰囲気を知っていただけるように、会員の感想や体験談を掲載しています。
何かを始めるのにリミットはない 女性、40代
(掲載:2018/5)
私は、杖道を数か月前に始めた普通の主婦です。
会長である清水さんに誘われるまで、杖道という武道があることすら知りませんでした。 「お知り合いになれたご縁は、自分にとっても新しいことをするチャンス、これを逃しては何も始められない」と、思い切って門を叩きました。
稽古場へ行くと、皆さんの道着姿が凛々しく、かつ高貴で素敵だなと思ったことを覚えています。と同時に、私に杖道が出来るのか?と不安になりましたが、それは無用な心配でした。親切に教えて頂き、次もまた是非来よう、と思う稽古でした。今まで運動らしい運動をしたことがなかった私でも、今日まで楽しく続けられています。
年代を問わず、どなたでも気軽に始められるスポーツです。是非、ご一緒しましょう。お待ちしています。
会長である清水さんに誘われるまで、杖道という武道があることすら知りませんでした。 「お知り合いになれたご縁は、自分にとっても新しいことをするチャンス、これを逃しては何も始められない」と、思い切って門を叩きました。
稽古場へ行くと、皆さんの道着姿が凛々しく、かつ高貴で素敵だなと思ったことを覚えています。と同時に、私に杖道が出来るのか?と不安になりましたが、それは無用な心配でした。親切に教えて頂き、次もまた是非来よう、と思う稽古でした。今まで運動らしい運動をしたことがなかった私でも、今日まで楽しく続けられています。
年代を問わず、どなたでも気軽に始められるスポーツです。是非、ご一緒しましょう。お待ちしています。
女性、40代
(掲載:2018/5)
二年前の土浦市おためし講座「まなびゼミ」杖道体験に参加したのがきっかけで、土浦杖道会に入会しました。当初より、昼間の稽古を希望していたので、武道館での健杖会の稽古は、家族の帰宅する夜に外出しづらい私にはピッタリです。
声を出す、裸足で稽古する、杖を用い左右バランス良く体を動かすことが、心身共に健康へと導いてくれる気がします。武道に縁のない私でしたが、先輩方に指導頂き、少しづつ形になっていく喜びを体感しています。
心技体の杖道を極めて行く道のりは、はるか遠いものですが、いつか先輩たちのように演武がしたいと稽古しています。
一緒に心地よい汗を流しませんか?
声を出す、裸足で稽古する、杖を用い左右バランス良く体を動かすことが、心身共に健康へと導いてくれる気がします。武道に縁のない私でしたが、先輩方に指導頂き、少しづつ形になっていく喜びを体感しています。
心技体の杖道を極めて行く道のりは、はるか遠いものですが、いつか先輩たちのように演武がしたいと稽古しています。
一緒に心地よい汗を流しませんか?
苦渋の人生からの脱出 ― 杖道にのめり込む新老人 ― 男性、80代
(掲載:2018/8)
私は間もなく、八十三歳になる。最近私より年下の桂歌丸師匠、日本昔物語の語り手で俳優の常田富士男さん、お二人が永眠された。共に八十一歳である。同時代を生きた者の一人として人間の命の有限性を実感させられる。私も何時死んでも不思議ではない年齢となった。不図、今迄の我が身を振り返る、瞬時、取り返しのつかない複雑な想いにかられる。本当に長い歳月両脚の不具合と激痛に苦しみぬいてきた。五十歳の時である、担当医より「もう限界です、人口関節置換手術をしましょう」と声高に勧められた。しかし当時人口関節の耐用年数は限られ、十五年ほどと言われていた。その上、再手術は不可能と言うのだ。私の場合六十五歳でタイムリミットとなる。ならば万難を排しても手術を先送りしなければならない。結局七十六歳で手術に踏み切った。この間実につらい生活を余儀なくされた。でも人口関節の方は日毎性能を進化させていた。ついに耐用年数が二十五年と大幅に延びていたのだ。
長い辛抱の甲斐があった。手術後、嘘のように痛みから解放された。更に六ヶ月間のリハビリの効果もあってか徐々に全身の可動域が広がって来たのだ。その時第三の人生の始まりを感じはじめた。何か火照るような体の呻きを覚えたのだ。思えば実に長い歳月を失っていた。これからは残りの少ない時間、即ちお釣の部分を長引かせ、自己回復に使いたいとの思いだったのかも知れない。間もなく若い時から憧憬の的だった杖道の門を叩き入門した。今秋で8年目を迎えた。幸い良き指導者とめぐり合い、私自身の杖道の在り方に大きな影響と強い刺激を与えてくれる。今年10月四段の審査が有る。中々厳しい。合格すれば、命の残り火に弾が付く。今特訓中である。
「杖の道 燃えて尽きたし 八十路坂」、拙作今の心境である。
長い辛抱の甲斐があった。手術後、嘘のように痛みから解放された。更に六ヶ月間のリハビリの効果もあってか徐々に全身の可動域が広がって来たのだ。その時第三の人生の始まりを感じはじめた。何か火照るような体の呻きを覚えたのだ。思えば実に長い歳月を失っていた。これからは残りの少ない時間、即ちお釣の部分を長引かせ、自己回復に使いたいとの思いだったのかも知れない。間もなく若い時から憧憬の的だった杖道の門を叩き入門した。今秋で8年目を迎えた。幸い良き指導者とめぐり合い、私自身の杖道の在り方に大きな影響と強い刺激を与えてくれる。今年10月四段の審査が有る。中々厳しい。合格すれば、命の残り火に弾が付く。今特訓中である。
「杖の道 燃えて尽きたし 八十路坂」、拙作今の心境である。